霊能探偵#2:エリザのまなざし
「まさか自分がゴーストになっちゃうなんて」と、アスールはため息をついた。
数日前から2人は霊媒スキルに着手していた。スキルアップには余念のない2人、すぐに怪しい水晶玉が乗ったテーブルを手に入れると、霊能探偵の傍ら、霊との交信に励んでいた。毎回得られる幽霊からのメッセージは概ねフレンドリーで、人生を励まされることさえあった。2人はこれを面白がり、日夜無邪気に霊媒を楽しんでいた。
スキルが上がると、2人はゴーストを呼び出せるようになった。1人はクロード・レネ・デュプランティエ・ギドリー。常に誘惑的な彼は、ロマンチックで美食家、芸術愛好家であり、霊能探偵初心者の2人にとって頼りになるアドバイザーでもあった。呪われた家に出現する霊障について、彼はあらゆる知恵を授けてくれた。ラランが浮遊霊を宥めるために魂を捧げてしまった時には、その悲しみを一瞬で癒やす『魂のかけら』を渡してくれたこともある。「次からは自分の魂を安売りするようなマネは避けるんだ。いいね?」とギドリーは言った。ラランは神妙に頷いたが、内心、じゃあまた魂捧げちゃっても困ったらギドリーにもらえばいいや。と思っている。
もう1人、いつでも呼び出せるのはボーンヒルダ。彼女は家族志向できれい好きだった。家にいる間は率先して修理や掃除やゴミ出しに勤しんでくれる。メイドの格好にも合点がいくというものだ。そのうち、彼女の3つめの特質がクリエイティブだということを知ると、アスールは感嘆した。生前はさぞ有能な女性だったに違いない。
『呪われし秘儀』が行えるようになったのは、レベル4になった時である。ラランに先んじてレベルアップを果たしたアスールは、早速試みてみようと降霊テーブルに着いた。
結果が冒頭である。呪われし秘儀とはなんと、自らをゴースト化してしまうものだった。
「自分のムードレットが丸見えで嫌だ」とアスールはラランに訴えた。今のアスールは遠目からでも集中していることがすぐわかる。ラランは慰めた。「でもギドリーなんかいつも誘惑的でピンク色だよ、あれよりいいよ」そういう話ではないのだが。
「それに悪いことばかりでもないし。仕事先に出かけたら、霊障探して家中を移動しっぱなしでしょ。ゴーストになれば壁も家具もすり抜けられるよ」
確かに。とアスールは思った。ちょうど仕事に行く時間だ。探索中はムードレットも次々変わる。自分の姿が戦慄で濃い紫色になったり、幸せで黄緑色になったりするのは楽しいかもしれない。「今夜はアスールに任せるよ」とラランは言った。
その夜、アスールが飛ばされたのは、夫婦仲の微妙なことで有名な、Willow Creekエリアのパンケーキ夫妻宅だった。
また浮遊霊がいない。とアスールは思った。自分の時だけ浮遊霊が出てこない。理由はさっぱりわからない。自分だって浮遊霊に贈り物をしたり、魂を捧げたりしてみたいのに。そう、何より浮遊霊に対して魂を捧げられないのは痛い。ラランが一向に懲りずに毎回真っ先に魂の一部を明け渡すのは、魂を失ったことによるあまりの悲しさに、ほとんど恐怖を感じなくなるからだと言っていた。
「悲しくて悲しくてすっかり意気消沈して、恐怖とか戦慄とかしてる暇ない」とラランは言っていた。おかげでほとんど怯むことなく、霊障退治に励めるのだとも。実際ラランは優秀だった。既に2人はビギナーからプロフェッショナルを経て、もっとも高給な報酬を得られるマスター霊能調査に出ていたが、ラランは失敗したことがない。引き換えアスールは度々任務に失敗していた。浮遊霊が出てこないだけでなく、アスールの時はノルマ達成できるだけの霊障が出現しないことも多かった。理由はまったくわからない。家の中をぐるぐると歩き回り、対象を見つけられないまま時間切れで無給で帰ってくる。そんなことを何度か繰り返し、アスールも心が少々折れているところだ。
裏口の方に回ると夫のボブがいた。ベースゲームからいるおなじみのパンケーキ夫妻だが、話すのは初めてである。「よかった!来てくれてありがとう!」とボブは言った。そう言われれば萎えた心に火も点こう。アスールはボブを励まそうと、ライセンスを出して見せてやった。プロフェッショナルな霊能探偵です。私が来たからにはもう安心ですよ!
妻のエリザは不在のようだった。アスールは思った。こんな時間に家を空けているなんて。ボブさんいい人そうなのに。夫婦のことはわからないっていうけど、私はどっちかって言ったらボブさんの味方になろう。よく知りもせずそう決めるとアスールは高揚し、集中したままあらためて家の内外を見渡した。
植え込みの外側にひっそりと、ねじれたツルが生えている。不気味に発光している謎の手やマーク、人形などはまだ見つけやすいが、こういうのを探して家の中や外をぐるぐる見回すのはなかなかにしんどい。録に数も出てこないとなれば尚更。こうやって見つければ、むしろお宝でも見つけたかのような気分になる。アスールは早速この家の1つ目の化け物を蹴っ飛ばした。
しかし1時間に1つばかり出てきてもノルマ達成にはほど遠い。
アスールが焦れていると、目の前にテンペランスが現れた。ラランの初仕事の時にも出現した、怒りで真っ赤になっているゴーストである。話には聞いていたが現場で出会うのは初めてだった。アスールが丁寧に自己紹介をすると、テンペランスも丁寧にお辞儀した。
これは話をして宥めることができるんだろうか。
霊障も一向に現れない。時間つぶしに少しだけ彼女と話をしてみよう、今夜は同じゴースト姿だし。アスールはそう思い、ちょっとだけ会話に興じてみることにした。
テンペランスの怒りはまったく収まらなかった。「相手にするのは時間のむだ」とラランが言っていたっけ。テンペランスはすぐに会話を打ち切り、パソコンを壊し始めた。アスールはそっとその場を離れる。
次々壊される家具を修理することで、集中モードに入れる場合もある。いてくれる分には助かるという考え方もできるだろうか。どうして彼女は呪われた家にばっかり現れるんだろうと思っていたが、もしかしたらムードレットの切り替えを手助けしてくれる存在なのかも?考えすぎだろうか。
今夜のアスールは修理などせずとも集中が切れない。出かける前に強力なムードレットを付けていくのはかなり有効である。戦慄状態に陥っても戻るのが早い。あとはたくさん霊障が出てきてくれるなら文句はないんだけど。
相変わらずたまに出てくる化け物を発見し、すぐ片付けては、しばらく見回るだけで過ぎていく時間。出た分だけ片付けたらクリアってことでいいのに。充分出てこないのに時間ぎれで失敗っていうのはまったく納得のいかない話だ。
洗面所の人形を蹴っ飛ばそうとしたところで、急にアスールの姿はもとに戻った。ゴースト化の効果は4時間ほどで切れてしまうようだ。
今夜も時間切れまであと少しというところまで来ていた。やっぱりだめか…そう思いかけたところで、アスールはようやく2階の方にいくつかの気配を感じた。
いつのまにかエリザも帰宅していたようだ。戦慄状態になっていない今のうちに急いで片付けなければ。アスールは慌てて2階へ向かった。
人形を蹴り、スライムを片付けたところで、任務完了。アスールにとっては本当に久しぶりの達成だった。
最初にボブにイキって見せた手前、失敗して帰るなんてダサいことにならなくて良かった。安堵と同時に集中が切れ、恐怖が襲ってきた。
自分を奮い立たせようとエリザに向かって任務完了を誇ってみると、やる気なさそうに拍手してくれた。僅かな愛想笑いにアスールは少しホッとする。どうして2人は別れないんだろう、なんて言われている夫婦だが、心がないわけではないのだ。この夫婦にしかわからないことがあるのかもしれない。
とはいえ、テンペランスに怒鳴りつけているボブの後ろ姿を見るエリザの冷たい目には、アスールもなかなかにゾッとしたのだった。
翌日、洗濯を終えたアスールは、階下のラランの様子を見に行くことにした。ラランはついさっき霊媒スキルが4になったので、自分もゴーストになってみると言っていたのだ。移動は確かにちょっと楽だったかも。そう報告していたので、恐らくこの後の仕事をゴースト姿で出かけるつもりなのだろう。
そこには、あろうことかボーンヒルダになってしまったラランがいた。
「ボーンヒルダじゃ壁のすり抜けもできない!」そう嘆くラランだったが、その後もラランは一度もゴースト化に成功していない。たまたまなのか、何か理由があるのか、これもさっぱりわからない。